ネット人格の検証可能性

最近、Facebook はリアルコミュニティを強化する仕組みだという認識に立てました。

バーチャルコミュニティではないのだと。

匿名文化ありきで考えると、この部分は見誤ります(見誤っていました。)。


日本の匿名文化は、学術利用のインターネット文化以降の (パソコン通信のハンドル名の文化も少なからず引きずっているかも) 根強いものですが、その中でソースの検証可能性を重視する姿勢が育ったのは、まだ可能性が残っているなぁと思っています。


情報の信頼性、ネット人格の信頼性は、それを発した組織の信頼性 (過去の実績や組織体制) であったり、それを発した人の過去の発言の蓄積からの検証ということであったりします。

自分@組織ではなく、自分@自分での発言の蓄積は、自分が何者でどういう姿勢であるのか、ということを示し、ネット上での信頼性を作れる方法の一つです。

ネットは雑多でいろんな場所があってしかるべきですが、匿名で言いっぱなしにする傾向が、多くの部分で目につくのには危惧しています。


森田::