人は死ぬ、そしてウェブに残る

死者を追悼するためのSNS, Footnote
http://jp.techcrunch.com/archives/20080910tc50-footnote-a-social-network-to-help-us-remember-the-dead/

人はいつか死ぬ。これは誰にも避けられない運命です。
デジタル革命以前であれば亡くなった方の記録は思い出の記憶として残ります。

しかし今は、記録は記録として残り、検索エンジンで検索され続ける可能性を残します。僕も何年か前に人がウェブに人格を移し始めるウェブ仮想世界が発展するとウェブの至る所にゴースト(既に亡くなっているがIDがそのまま残る状態)が漂流するウェブになるという仮説との元、それをどのように解決して行くか検討したことがあります。

ウェブでゴーストになるのは2通りあります。まずは生きているにも関わらず作った人格をそのままにしてゴールストになる場合、もう一つは文字通り自分がプロフィールや日記を削除する前に(事故、病気、寿命で)死んでしまう場合です。

米国の裁判の判例では、たとえ家族であれば本人出なければメールのアカウントやSNSなどのアカウントを引き継ぐことはできず、サービスプロバイダー側が本人を確認した上で削除しなければならない、という結果が出ました。これからの遺書には遺産の相続だけでなく、ウェブに残した自分の記録の取り扱いにも言及しないといけないのかもしれませんね。

今、20代、30代の人はほとんどがウェブに何かしらの人格を残していますから50年〜80年後にはウェブの世界でもお葬式なる儀式が行われるのかもしれません。そのころにはバーチャルワールドでの参列などもあり得るのかもしれませんね。

テクノロジーは生きている人と死んだ人を判別できる機能や検索エンジンは時間という枠のインデックスと検索結果、リンクの解析技術を持つでしょう。SNSのプロフィールは特に写真など永遠に若いままを保つのか、年齢とともに老いるプロフィールシステムとなるのか、黒いフレームで覆われたプロフィールや黒いラインでつながったソーシャルグラフができるのか、そのようなデジタル情報化社会を私たち人間がどのように受け止め、発展させていくのか始まったばかりです。